創設者 三木瀧蔵

当財団の創設者三木瀧蔵は、明治32年11月22日兵庫県城崎郡港村津居山で生まれました。生家は当地で代々栄えた廻船問屋で裕福な家庭で育ちましたが、山陰本線の開通など鉄道の普及から家業は没落し、学校で首席を通したにもかかわらず中学校への進学はかなわず、大正2年、東京に出て商業の道で身を立てることにしました。当時の貿易商の名門高島屋飯田に小僧として入店、日々仕事に精励する傍ら、会社の好意で通えることになった大倉商業学校(現東京経済大学)の夜間部で勉学に励みつつ商いの経験を積み重ねていきました。大正9年に独立して横浜で輸出織物商三木商店を創業、大正12年9月1日の関東大震災ですべてを失いましたが、同月30日には神戸で匿名組合三共商会として再起し、以降、社会の求める繊維製品を独自の商才を生かして的確に取扱い業容を拡大して行きました。昭和13年には株式会社に改組、昭和19年には現社名の三共生興株式会社と改称し昭和43年には東京、大阪両証券取引所市場第一部に上場を果たしました。
 

社業に励む傍ら、社会への報恩の志深く、数多の公職に労を惜しむことなく、中でも祖業であった生糸、絹織物への思い入れは深く、長らく生糸業界の発展に精魂を傾けました。昭和56年4月10日、求めに応じ、病身を厭うことなく自民党蚕糸絹業対策特別委員会に神戸生絲取引所理事長として出席し、国際情勢に後れをとる蚕糸行政に対し「経済原則に反する政策は必ずつぶれる、今や破壊の時になった。すべての破壊は建設の始まりである。勇気ある決断を求む」と当局に箴言をした後着席しそのまま瞑目しました。社会貢献に対してはなんの見返りも求めることなく、事業家として数多の困難に立ち向かう闘争心とともに常に報恩の心を持ち「推譲の心」を兼ね備えた経済人でした。

それらの功績に対し、数々の表彰を受け藍綬褒章や勲二等瑞宝章を受章したほかフランス政府から国家功労賞を贈られています。死去に際しては生前の功績に対し正四位に叙せられ銀杯一組が贈られました。

創設者・初代理事長 三木瀧蔵